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本の読み方

こんばんは。戌吉です。

 

文字を読むのが遅い。

そのおかげでか,懐かしい話大学のセンター試験は国語は割くらいだったと思います。

 

絶対本は速く読めたほうがいい!と,思って速読の本なんか読んだりしましたが,結局のところあまり変わりませんでした。知識が多いほうが,人生役に立つことが多いのになんでこんなに読むのが遅いんだろう,と本を読むのが遅い自分が嫌になることもありました。

 

でも最近は,あまり本を読む速さに(多少)こだわらなくなってきたような感じがあります。なんでだろう。。。

 

 

1.自分の本を読むスピードを受け入れ始めた(わるく言うと,あきらめた)

 

ストーリー性も大事だけども,本のほんの一節だけでも学べる事がある

                ( ↑ ・・・)

本は正解ではない。本はヒントだと思うようになった。

 

 

 

。あきらめます。なんてマイナス思考でしょうか。私淑する五木寛之さんは書籍『人間の覚悟』のなかでこう言います。

「諦める」というのは,投げ出すことではないと私は考える。

「諦める」は「明らかに究める」ことだ。

はっきりと現実を見すえる。

期待感や不安などに目をくもらせることなく,現実を真正面から受けとめることである。

 

「今」は速く読めないし,速読の本を読んで試しても速くならない。それ以上努力しようとする気持ちが,自分の奥底から湧いてこない。だからゆっくりでも,興味のある本をおもしろく読めればいいや。うん,そうしよう.。

 

 

。一部分だけ切り取って,自分の知識の範ちゅうだけで解釈するのは危ういですが,ストーリー性も踏まえて印象に残った一部分について深く考えれば,なんてたった一冊の本が濃密なんだろうと思いました。

まあ一言一句漏らさずに考察しつくす,というのは不可能ですが(少なくとも僕には),自分の惹かれた部分だけでも深く考えるとそうとう内容が濃くなる,ということを最近感じました。

 

 

そして。これを本当にづくづく大事だなと思います。

特に昔の偉人とか,どっかの何とか社長の名言とか,それらは偉業を成し遂げるほどの人格者の言うことだから絶対に正しいだろうという思い込みがどこかにありました。

 

違う。そうなんだけど,違う。

「言葉」と「実感・実体験」の一致。マッチング。

それで初めて自分の中での正解になる。

 

偉人の言葉道理にしてりゃうまくいく。そうじゃない。

自分の思いや感覚と一致して初めて,ああ本当だな。

そこで初めて自分にとっての真実になる。

 

どうしてもテレビのだれだれが言っていた,有名な本に書いていたとかで,それが正しいと思ってしまいがちになる。「結果的には」正しいかもしれない。でもやってみないと。自分で感じないと。思わないと。ということがすごく大事だと感じます。

 

 

じゃあ本に意味なんてない?

 

 

そうではないと思う。

本を書く人は自分が救われたから,時空を超えた誰かにも伝えたくて書いているふしがあると思う。

でもあくまで本は「言葉」であり「情報」である。だからこそ,「ヒント」になりうる。なにも情報がなければ絶望かもしれない。本は希望のヒントなのかもしれない。そして希望を自分で検証する。自分で「思い」「感じて」みる。

それで初めて本の作者に,感謝できるんじゃないかと最近思います。

 

 

乱雑な文章になりました(いつもながら)。こんなことを書くのも,自分が本当に実践できていないから書くのかもしれません。そうしようという自戒なのかもしれません。

でも思いのアウトプットとか表現って,ブログを書きはじめてよいもんだなと思ってきています。

普段こういうめんどくさい話のアウトプット先がいないんですね・・・。。。

 

 

最後まで読んでくださった方は本当にありがとうございました。