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シンプルな生活の背景にあるもの

こんばんは、戌吉です。

どちらかといえばキレイ好きなほうの人間です。

 

 

ものを減らす風潮

はてなブログのトップで、今月は「新生活」という項目がピックアップされていますが、その中でも「断捨離」とか、「ミニマリズム」という単語を非常によく目にします。はてなブログだけでなく、本屋をブラブラ歩いていると、その類いの雑誌や単行本をよく目にします。表紙を見るだけで,その内容を読み漁るわけではなく,詳しい知識はありません。


ものが多すぎる生活を見直すというのは、非常に大切なことだと思います。物欲に任せて何でもかんでも買っていると、本当に必要でないものがどんどん増えていきます。ものの増えすぎた現代生活を見直す上では,確かに有効な手段だと思います。


そしてその思想が流行となって、「部屋にできるだけものを置かない」とか「モノのない生活」という風潮ができているように思います。

 

 

シンプルな生活の背景

流行は、根本の精神を伴わずに形だけとなる場合が多いですが、この「断捨離」の流行の裏にも、何か見落としてしまいがちなことがあるように感じます。


ひねくれた性格の僕の思うところは、本来必要なものを,お金でシンプルにできているという事実を忘れていないかということです。

 

例えば野菜を食べる。

本来であれば土があり、種があり、肥料があり、それを入れる容器があり、鍬があり、水があり、それを入れるジョウロがあり、スコップがあり、一輪車があり・・・etc.


今考えただけでもこれだけのものがいる。しかもそれは野菜を食べることだけについて考えただけで。魚となれば釣りのための道具があり、畜産・酪農となれば、まあよくわからないけど、たぶん色んなものがいる。

机と椅子をそろえるのにも,鋸が要り,かんなが要り,ネジが要り,ネジをつくるには鉄鉱石・・・・・・・


現代生活は、お金を対価として手軽に色々なものが手に入れられますが、そして今さらそれを引き返すことなどできませんが、本来はそれをやらないと手に入れられない、どこかで誰かがそれらの大量の資材を使って、製品になるまでのストーリーをこなしている。ということは忘れるべきでない事実だと思います。

 

 

分業制の世の中で

と考えるようになったのも、コーヒーを飲むのを、コーヒーの生豆の焙煎からするようになって、ああ、コーヒー飲むだけでこんなにモノと手間がいるんだなあと実感したことがきっかけです。それでもコーヒー豆の生産という一番重要な過程は、赤道諸国の生産者の皆さんと輸送業者におまかせなので、すべてのストーリーを行っているわけではありませんが・・・。まあちっぽけながら,コーヒーの木を育ててみることは始めてみました。

 

ddkonga.hatenablog.jp

 

 

要するに、自分で本来やるべきストーリーが,お金を対価として,そのシンプルさの裏にあることを忘れるべきでないと思います。分業制の世の中なので、なかなか物事を1から自分でする機会というのが少なくなりがちですが、そんなご時世だからこそ、シンプルな生活の裏にある様々なストーリーを忘却して生活することも見直さなければいけないなと感じた今日この頃です。

 

持論回でした。失礼しました。