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ゆとり世代じゃないほうが、実はゆとりだったりするかもしれない話

こんばんは,戌吉です。

 

前々から考えていたことなんですが,まあ考えたところで大した意味はないんですがゆとり世代の僕たちは,ゆとりにされたからこそ一番大変な世代なんじゃないかということです。

 

教育を受ける年代は,「与えられる」ことにおおかた支配されます。義務教育なんて制度があるからなおさらですが,自分で環境を選びにくいのは当然の話です。

 

そうなるとゆとり教育を受けることは逃れられないルートであって,ゆとりを受ける方には何の責任もなく,与えるほうに問題がある・・・

 

というのはよく聞く話ですが,ゆとりの教育を受けてしまった我々は,社会に出てから厳しい環境にさらされる,つまり,これまでと異なった環境に適応しなくてはならないという苦難があるわけです。

 

逆に幼少期や青年期を厳しい環境で育った人々は,それまでと同じ環境で過ごせばいいだけなのです。わざわざ環境を変えるという苦難を乗り越える必要がない。つまり,

 

実はゆとり教育を受けていない世代のほうが,ゆとりである

 

かもしれないのです。社会の在り方は常に変わりつつありますから,一概にそうとはいえないかもしれせんが,日本社会のベースは大きく変わらぬままです。

 

とこういう風に言ってしまえば,あたかもゆとり世代だけが苦しい状況であるという風に聞こえますが,引いた眼で見れば,苦難の総量は等しいということになっているのかもしれません。ゆとり世代は子供時代の苦難が少ない。かもしれない。

 

早い段階で苦しむか,遅い段階で苦しむか。

 

ただ教育という「与えられる」段階で苦労したほうが,まだ健全な苦労であるような気はしますが,そう考えると,やはりゆとり世代のほうが大変かもしれない。まあ,自分が経験してないルートは,経験することができませんからね。お互い分かり合えない部分があるのは当然の話。どうしても自分を正当化してしまいたくなるものです。

 

 

・・こう記事を書いていくと,嫌なこととか苦しいことに目が行きがちな気がします。自分のやろうという意思で考え方が変えられる時は,すでに一番苦しい時期を超えているものだと思っていますが,もう少し,楽しいことや嬉しいことにも視点を置いてみたほうがいいですね。

 

もう少し柔軟に,肩の力を抜いていきたいものです。