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BUMP OF CHICKENの「モーターサイクル」の歌詞を深めに解釈してみる【意味・感想】

最近バンプを聴く、戌吉です。

 

ほんとに最近バンプに励まされている気がします。まあ、多くはYouTubeで聴くんですが。

 

そして一番元気をもらえるのが「モーターサイクル」という曲です。

 

この曲は、2010年に「宇宙飛行士はの手紙」のカップリングとして発売されたようです。僕が初めて聴いたのはアルバム「COSMONAUT」で、シングルで出ていたとは知りませんでした。

 

そんな8年も前に発売された曲に、今さらながら励まされています。これだから、音楽とか本とかいうのはいいですね。受け継がれれば時代を越えて人に語りかける力をもっていると思います。

桑田圭介さんの曲「飛べないモスキート」から言葉を借りると、

 

移り行く世代を超えて同じ雨に
打たれる人はいつも君のそばにいる



まあ、言葉が記号であるが故の恩恵です。

 

※約4700字

 

 
歌詞

起きたら胸が痛かった
心とかじゃなく右側が
夜になったら治ってた
痛かったことも忘れてた

あくせく働いて寝て終了
起きて飯食って寝て終了
いずれも生活という行為
鈍感と不感は別のもの


診察保険繋いだライフ
稼いだマネーで買ったもの
安心娯楽潰したタイム
色々と高くつくもんだ

一生終わることなんかない
今日は昨日の明日だったでしょう
始まりを考えても意味がない
ありふれた答えしか出てこない
現実派気どりでいるなら
慰めなんて期待しないでしょう
死んだ魚の目のずっと奥の
心はとても丈夫だぜ

 

友達のバイクがぺっちゃんこ
泣きたい立場十人十色
なんだってネタにする仕事
敏感と不感の使い分け


買い手のいない激しい怒り
置き場などない悲しい悟り
それでも生活という行為
生まれたらどうか生き抜いて

 

レッカー新車滲んだライフ
罪なきマネーがお片付け
重力地球人の価格
イカロスとは違うよ全然

 

誰が弁償してくれる
大小損害忍耐限界
それで何を弁償してもらう
そこは曖昧なままにしたい
勝敗がつけば終わるなら
負けを選んでそれでも息する
死んだ魚の目のずっと奥の
心に拍手を送るよ


ああ君には言ってない
そう無視してくれていい
相槌さえ望まない
そもそも大したこと言ってない

ああ君には言ってない
そう無視してくれていい
相槌さえ望まない
そもそも大したこと


同族嫌悪競ったライフ
誰かの真似で知った顔
安全地帯で没個性
開き直る相手はどこに


他人事だけどがんばれよ
手伝う気も方法もない
道徳と規則の中で
ヘラヘラがんばるしかないよ

 

わざわざ終わらせなくていい
どうせ自動で最期は来るでしょう
その時を考えても意味がない
借りてきた答えしか出てこない

現実派気どりじゃないなら
どんな時間が無駄かわかるでしょう
死んだ魚の目って言われても
心臓はまだ脈を打つ

 

四の五の言わず飯食えよ
人のふり見て人にはなれんよ
気にするほど見られてもいないよ
生まれたらどうか生き抜いて

周りが馬鹿に見えるなら
生きにくいなんてこともないでしょう
死んだ魚の目を笑うやつに
今さら躓くこともないでしょう

 

ああ君には言ってない
そう無視してくれていい
相槌さえ望まない
そもそも大したこと言ってない

手貸したら握るかい?
どっちでもいいけどさ
ああ外野はほっとけ
そもそも大した事言ってない

 

※一部参照元

http://j-lyric.net/artist/a000673/l022d0a.html

 

 一部感想を含めた解釈

ひととおり聴いて、まず大雑把に思うことが、「しんどいことが多いけど、でもまあ、とりあえず生きようぜ」というメッセージであるということです。

何のために生きるのかを考えた先で暗い中を彷徨っているいる人たちに、「つかみたいと思ったら、この歌詞を受け取ってくれ」とでも言うように書かれた歌詞なんじゃないかなあと今の僕は考えています。

 

前半

 まず出だしが、胸が痛いと。そしておそらくですが、それを堪えて(あるいは無視して)仕事に行ったら気づいたら夜には治っていた、ということを想像します。

 

 体のことも気遣わずに人間活動を行っている様子を指しているのだと思います。次の歌詞、「あくせく働いて・・・」からもそう考えるのは不自然でないと思います。

 

ここで「鈍感と不感」とありますが、この出来事は「鈍感」のほうになるんじゃないかと思います。「不感」は体からそういう信号が発信されていない状態。つまり健康な状態であること。鈍感になってるだけで、体からの信号はなんとなくでも受けとっている、だけど、無視している。そこから歌詞は始まります。

 

お金のことえを考えてたら、色々とかかるもんだということを考える。何のために生きるのかということを少し考えていると、こういう考えが自然と浮かんできます。

 

1サビでは、物事の始まりや終わりを考えても答えなんて出てこないよ、というメッセージだと解釈します。この部分からは、本当に藤原さんは色んなことを悩んだんじゃないかと想像してしまいます。究極的なことを考えようとしないとこういう問いは出てこないと思います。

 

 何度か出てくる「現実派気どり」という言葉。これがイマイチよくわからないのが残念です。夢や理想を追い求めない態度、という解釈をしたとして、それなら「慰めなんて期待しないでしょう」というつながりもしっくりきません。

 

「死んだ魚の目」は目の奥に、キラキラしたものが言えないさまを表していると思っています。BUMPのメンバーなんか(音楽やってる人には多そうですが)そんな印象を受けますが。そんな「人たちの心は丈夫だ」と言っています。ふむ。

 

中盤

ある出来事(事件)が起きる。それぞれの立場がある。メディアのような立ち位置もある。

 

色々と考えが浮かんでくる。もし被害者の立場で「バイクがぺっちゃんこ」になってしまったのなら、怒り→(ある種の)悟り→とにかくまた普通の生活、というのは自然な流れだと思います。

 

「 レッカー」や「弁償」という言葉からは責任問題が連想されますが、この曲の2番は、イマイチ分かりにくいです。

 

「重力地球人の価格 イカロスとは違うよ全然」。語呂はいいですが、イカロス(蝋の翼をもって自由に空を飛べたが、太陽に近づきすぎて蝋が溶けて落ちたというギリシャ神話に出てくる人物)の話のような、そんなフィクショナルな世界ではないよ、とでもいうことでしょうか。「人の価格」もよく分かりませんが、能力主義のドロドロした現実を表してるとかでしょうか。

 

「勝敗がつけば終わるなら負けを選んでそれでも息する」

これは印象的な言葉です。一見名言ともとれるような文章ですが、現実ではなかなか簡単なことではないでしょう。人間はプライドの塊ですから。ただこれは僕の自由な想像ですが、どこかの誰かに宛てたメッセージというよりは、藤原さんの中での戒めというか、自分を励ます思想のようなものなんじゃないかと考えたりもします。

 

そして間奏で、「ああ君には言ってない・・・」ときますが、ここでの「君」はヒトを茶化すような第三者、と解釈しがちになりそうですが、僕はこの歌を聴く「あなた」に向けたフレーズであると思います。自己防衛的なものも含まれるのかもしれませんが、大したことは言ってないけど・・・・

これは最後の間奏部分につながると考えます。とりあえず曲の後半へ。

 

 

後半

 この「誰かの真似で知った顔」。BUMPに『HAPPY』という曲がありますが、この歌詞の「つぎはぎの自分を引きずって」「借り物の力でかまわない」と、どこか同じような意味を感じます。

 

例えばの話ですが、三平方の定理というものがありますね。それの公式は a2+b2=c2 とほとんどの人が知っていますが、それの導出の仕方はほとんどの人が知らない(あるいはすぐには言えない)。今の現代は生活のほとんどがそんな「借り物の力」で成り立っていることを示しているんじゃないかと想像します。

 

 まあそれが同族嫌悪や安全地帯で没個性との前後関係でどうつながっているのかは理解しかねますが・・・

 

そして次の

他人事だけどがんばれよ
手伝う気も方法もない
道徳と規則の中で
ヘラヘラがんばるしかないよ

 

 ここは(個人的な話ですが)僕がこの曲の中で好きなフレーズ2本の指に入ります。

 

結局はひとりなんだと。苦しい時はだれかにすがりたくなる気持ちも出てきますが、最終的には他人がどうこうすることはできない。手伝う「方法もない」んです。それが分かっているから、藤原さんは「手伝う気も」ないのかもしれません。

 

しかしこの曲を世に贈ってくれている。そんなことをいいながら、でももし奇跡的に誰かの何かの助けになれば、という想いを、僕は勝手に受け取りたくなります。

 

 

そして最も印象に残るであろう

「わざわざ終わらせなくていい どうせ自動で最期はくるでしょう」。

 

人生の目的を考えだしたら、行きつくのはやはりそこ(最期)なんです。でもその時を考えても意味がないと。本当に仏教的というか、そういう究極のところまで考えたんじゃないかなあと想像してしまいます。

 

次に2回目の現実派気どりが出てきますが、こちらは現実派じゃない場合。現実派じゃないなら、(ある)時間が無駄だとわかる、と。

言い方を少しかえてみれば、理想主義なら、もっとやることがあるでしょう、という感じでしょうか。

んー。やっぱりここはイマイチ分かりません。

 

 

そして終盤。一番僕に響くところ

四の五の言わず飯食えよ
人のふり見て人にはなれんよ
気にするほど見られてもいないよ
生まれたらどうか生き抜いて

 

とりわけ「気にするほど見られてもいないよ」ですね。周りの目を気にしがちなんですね。でも、自分だってそうでしょう?他人のことなんて、意外と見ていないものなんです。見ていると思っていても、意外に見ていないものなんです。曲のこのタイミングでこのフレーズを言われることで、僕はたびたび心打たれます。

 

心には響きますが、解釈しようとしたときに、この4行で前後関係をつなげようとやはり苦しんでしまいます。しかし、概念的には統一したものがぼんやりとある気がします。歌ってそういうものかもしれません。

 

最期に、ラストサビ。2サビが終わった後と同じフレーズが一度繰り返されます。そして次に

手貸したら握るかい?
どっちでもいいけどさ
ああ外野はほっとけ
そもそも大した事言ってない

 

 「手貸したら握るかい?」のところに、あわよくばこの曲が届けば、という想いを感じてしまいます。でも、この歌詞もひとりごとのようなものだから「どっちでもいい」のかなあとも考えます。

 

ここに「外野」という、死んだ魚の目を笑う第三者が出てきますが、「相槌さえ望まない」のはこの第三者にではないんじゃないかと思います。

それはやはりこの歌を聴く「あなた」で、相槌さえ望まないけど、握りたくなったらこの手を握れよ、と言っているように僕には聞こえました。

 

 

まとめ

解釈とタイトルに書きましたが、解釈しきれない部分も多々ありました。理解力に乏しい筆者ですが、歌の歌詞に整合性を(完璧に)求めるものではないんじゃないかなとも思います。

言葉が連想されるイメージで、ぼんやりと統一される概念を受け取ることが、歌の楽しみ方があると、歌詞を意識して聴くようになったこの2年くらいで思うようになりました。

 

ひとつの曲でも、人それぞれ引っ掛かる部分は異なります。たとえ同じ部分で引っ掛かっても、受け取り方も百人百様です。それをこの曲は特に思わせてくれます。

 

こころ打たれるときもあれば、そうでないときもある。

聴きたくなったら、この曲に寄り添ってもらおうと思います。

ひとまず、この曲とBUMP OF CHICKENに、感謝。

 

 

 

※この解釈はあくまで筆者の個人的な考えに基づいたものです。