「見る」と「瞳に映る」という表現
類義語でも,(類義語?)
客観的に同じ動作を示していても主観的な心持ちは大きく異なりますよね。
「見る」 「瞳に映る」
もう別の動作と思ってもいいくらいに違うと感じます。
類義語,と言っていいのでしょうか。
「テレビを見る」,「スマホを見る」,「月を見る」,「顔を見る」etc・・・
なんだか意図的に見ようと思って見ようとする。そんな能動的なニュアンスがあるような気がします。
逆に「瞳に映る」という表現は,会話で使うことはまずありません。
受動的ニュアンス。小説か,歌の歌詞に出てくることが多い言葉ですね。
両者視覚を通じた映像を見ている,という客観的状況は同じなのですが,
主観的な心持ちが全然違う気がします。
「見る」は自分の意志で何か思い立って見る,自力の気配を感じる。
「瞳に映る」は映った映像を見ているような,他力的な気配を感じる。
そんなイメージです。
「瞳に映る」感覚も大事に過ごしたい今日この頃です。