本を読む(私淑の作家)
ブログ2記事目ddkongaです。
ブログをやるうえで色々とカスタマイズすべきことがあるのでしょうが,あまりいっぺんに手をつける気にならないので,ゆっくりやっていこうと思います。
前回の記事で趣味を書きましたが,まだありました。コーヒーも好きです。
挽きたての豆で入れるコーヒーの新鮮さに魅了されつつある今日この頃です。
コーヒーではなくて今回の本題は,本を読むことについてです。
本を読むといっても,立ち読みして自分がこれいいな,と思った本しか読みません。
というか興味がないと最後まで読むことすらできないという困った性格なのです。
あと本は基本的に買って読む,借りないという性癖もあります。
僕が本を読むことが多くなったのは大学2年の頃からです。
きっかけは,五木寛之さんの『下山の思想』(幻冬舎新書)という本を大学生協の本コーナーで手に取ったことでした。
内容は明るいものではなく,時代はバブル崩壊を経て下山の時代に入った。いつまでも気分爽快・元気はつらつ前向きに成長を目指す登山の思考ではなく,下山の時には下山なりの考え方を持つべきだ,という内容だったような気がします。下山は,ヒトが生まれて老いていくのと同じように,必ず経らざるを得ないプロセスであると。
とても若者が読んで感嘆するような内容ではないと普通は思われるでしょうが,当時,世の中あるいは自分の人生にどこか疑問と息苦しさを感じていた僕には,衝撃というかどんよりかかった雲を一部でも晴らしてくれるような感覚がありました。
それからというもの,大学時代は五木寛之さんの本を数十冊とよみました。同じような内容を何度も見ることもありましたが,そのたびに感銘を受けました。『他力』という思想もその一つです。同じ内容でも退屈と思わずに心に響くところがあるのは,五木さんが本当に心の奥深くからそう思っていることだからではないかと思います。あとなにか波長があうような感覚があったというのもあったと思います。
尊敬,とはこのことかと思いました。五木さんは僕の心の恩師だと思っています。最近知った便利な言葉を借りると,私淑の作家,です。私淑とは直接会ってはいないけれど著作などを通じて尊敬すること,だそうです。僕にとっての五木さんじゃないか!すごい便利な言葉だ!と思ってここに使わせてもらいます。
五木さんの書籍は,決して自己啓発とか現実の利益になるような内容ではありませんが,心の解毒剤のような役割を果たしてくれることがあります。蓮如の言葉を借りた五木さんの言葉をさらに借りると,「額に王法,心に仏法」のところの「心に仏法」の部分だと思います。現代の社会に違和感を覚えて心に雲がかかったような人は,一読の価値ありと思います。
ほかにも,最近では養老孟子さんの『遺言』という書籍にも衝撃的な感銘を受けましたが,五木寛之さんのその他の書籍やこの本についてもまた書いてみたいと思います。