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ドラマのおわりは終わりじゃない。ひねくれた考え

ふだん生活していると,漫画・小説・ドラマ・映画etc・・・

あまりにも多くのストーリーにさらされている。

 

人間はストーリーを好む。本を読むにしても,やはり小説を読む人口が圧倒的に多いと思う。もちろん随筆にもストーリー性は見いだせますが,やはり小説のほうが物語として引き込まれやすい。

 

物語は人間が生まれるところから始まる物語は少ない。大体,ある程度歳をとった人間がいきなり出てくる。そしてラストシーンは,ハッピーエンドやバッドエンドなどドラマチックに描かれて終わる。

 

そんな情報にさらされすぎているせいか,始まりと終わりという区切りのついた考え方があまりに深く脳内に刻み込まれているような気がする。そういう考え方は人間的だとは思うが,本質はそうではない。

 

終わりとか始まりとか,区別したのは人間の勝手な決めつけで,時間経過のある時点を「ここらで区切るか」と線引きしただけのものである。

 

だから,ハッピーエンドで終わったドラマの主人公のその後は,ひどい人生かもしれない。逆に成敗された悪役のその後は,幸せな人生かもしれない。

 

物語の作者が,勝手に「ここでおわりね」って決めただけ。そういう意味で,少年ジャンプの『ナルト』が,次章の『ボルト』を書いているのは面白い。ハッピーエンドのその後である。『ナルト』と『ボルト』を区切ってはいけない。続いているナルトの世界のストーリーに,作者が『ナルト』はここね,『ボルト』はここねと今のところ3本の線を引いただけのことである。(ナルトの世界という別次元の世界があったらという仮定の話で)

 

それが「やわらかい」考え方だと思うし,物事にとらわれないための一助になるような気もする。

 

ナルトもボルトも面白い!