珈琲オンボロ倉庫

コーヒー 音楽 ときどき 思考

「今を感じられない」人に見てもらいたい「今を感じる」ためのヒント

〇今を感じるためのヒント

「今を生きる」とか「今を感じる」とかって何となくいいことだと思うけど,

どうすればそういう風に思えるのか,イマイチ分からなかったりします。

戌吉です。 

 

僕も以前はそうでした。今に焦点を置くことはなんとなく大切なことだと思いつつも「今を感じられない」悩みを抱えていました。また「ずっと何か考えている」とか「フィルターを通したように音が聞こえる」とかに悩むこともありました。しかし,色々な本と出会って考え,感じて,なんとなく前より浮足立たずに,今を生きる感覚を感じられるようになったと思います。

 

そのための考え方・心の持ちようについて,誰かの1mmくらいの役に立てば,また共感が得られればと思い書いていきたいのですが,特に今どん底な状況だと思っている人に読んでもらいたく書きました。

まずは僕がうまくいかなかった例から紹介していきたいと思います。

 

 

 

〇今を感じるためにうまくいかなかったこと

①呼吸に意識をおく

 呼吸だけに意識を集中させて,ほかのことを考えないという方法ですね。どっかの本で読んだ気がします。吐くほうに重点をおくとか深くゆっくり呼吸するとか詳しいことは忘れましたが,なんだか最初の10秒くらいはうまくいくような気がします。しかし問題はその後なんですね。

雑念がすごい湧いてくる。

呼吸のほうに意識を戻そう戻そうとしてがんばるけど,知らずのうちに雑念が溢れるように湧いて出てくる。一カ月くらい続けたけど変わらず断念。力んだ自力が発動した時点でこの方法は,もう今の自分には合っていないということだと思います。

 

②今を楽しもうとする

「今を楽しもう!」なんて月並みすぎる言葉にはホトホト飽きれる気分になります。まずそんなこと言っている人は空元気か,「今の実感」に対する悩みなんて抱えていないんです。

そんな僕も最初は,今,自分がやりたいことをやろう!なんて思い,憂鬱なときはカラオケに行ったりランニングしたり旅行に行ったりと試みましたが,霧が晴れたよう晴れたようなに「今を生きてる!」なんて感覚は結局ありませんでした。

要するに,「そういう悩みを抱いていない人種」が言えることだと実感しました。

 

 

 

〇今を感じることができた考え方

どん底の今こそ「今」である

どうしても僕たちは今憂鬱な気持ちを抱えていたり,現実に物事がうまくいっていないことがあったりすると,良かった過去良くなる未来と現在を比較してしまっています。「あの頃はよかった」とか「きっと明るい未来になる」とかを無意識のうちにすら思っていたりします。

 

そうじゃないんです。

今このどん底こそ,「今」なんです。

晴れやかな人生じゃないと意味がないと思っていませんか??

そんなことはない「生きているだけで意味がある」。

いやむしろ「生きて在る」ことこそ人生の最重要課題じゃないですか。

 

自分の心臓は脈を打って生きている。

人間の社会的にはどん底かもしれない。精神的にはどん底かもしれない。

でも,「ここにある身体」は「」生きている。

そんな自分の身体を思うようになると愛おしい気持ちにもなってきます。

 

とはいえ人間社会のことも考えながら生きていくのが現実。

そんな泥沼の中でも,ここに生きて在る身体を胸に手を置いて実感する。

そこになにか薄っぺらでない幸せのようなものを僕は感じられました。

 

 

②感覚所与を大切にする

なんだか難しそうな言葉が出てきましたが,感覚所与というのは養老孟子さんの遺言(新潮新書)の中で知った言葉です。ザックリな独自解釈では,五感を通して外部環境に変化があったことを知覚することです。音がなったとか,冷たいとか熱いとか。これが「今を感じること」とはなんら関係がないように思えますが,実は大アリなんです。人間は意味のあることだけに焦点を当てて,意味のない微小な感覚所与は脳内で無視しようとする。そして「今ココ」にない考えにふけりがちです。

 

ですが感覚所与こそが「今」だと思うのです。風が強くなった弱くなった。少し曇って暗くなった。視覚や聴覚で感じ取った変化。それこそが「今」なんです。これらはふだん特に気にしない「意味のないこと」ですよね。

 

雨が降ったら服が濡れるという「意味」が生じてくるので,傘をさすとか行動をおこす。そこじゃなくて,「意味」じゃなくて,意味のない天気や気候のささいな外部変化にも敏感になってみることです。

 

心を外に向ける,ということになるんだと思います。内的思考にふけるのは,僕もどっちかといえばそういう気があるので重要だとは思いますが,

内的思考こそ今じゃない。外部環境の変化,感覚所与こそ「今」だと思います。

走る速さを変えると風の音が変わる。外でいると天気はけっこう目まぐるしく変わっていることに気付く。そういうことに目を向けることで,「いつの間にか何か考えている」状態が減ったような気がします。

 

 

〇最後に

そもそもなんで今を感じようとしているのか?ということも議論の余地がありそうですが,何となく重要そう。ですよね。

自分が今じゃない時間軸にあって,何かしら危うさを感じている。でもそういうなんとなくって意外と本質だったりする。身体としての自分が悲鳴をあげているとも思える気がします。

 

 これらの考え方になったのは,養老孟子さんの『遺言』という本が転機でした。感覚所与についてもここだけでは不十分なところも大いにあるのでぜひ一度読んでみることをおすすめします。また著書のなかで,都会は意味に満ちている・感覚所与を意図的に排除しようとしている,ともあるように都会ではより難しい環境だろうと思います。でも工夫と意識の持ちようで,少しは変わってくると思います。

 

それぞれの人が「今」を感じることにたどり着く方法は,その人だけの道のりしかありません。そこまでに歩んできた道のりは,双子でも同じことなんてないのですから。

 

「これだけやってれば」なんていう特効薬なんてものはこの世にありません。ただ「ヒント」にはなりうると思います。この文章がわずかながらでも誰かの「ヒント」になることを願っています。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。