「後悔」に意味はないのか。
「後悔には意味はない」派でした、戌吉です。
雨ですねー・・
今年は、雨が多いですね。
さて、今日は「後悔」について書きたくなりました。
後悔というものを、みなさんはどうとらえますか??
「あの時、ああしてればよかった。
なんであんなことをしたんだろう。」
過去の行為を、現在に考えて悔いるのが後悔だと僕は思っています。
そして後悔は、過去の引きずりだとも思っています。
過去の引きずりだと思えば、それに囚われることは現在をないがしろにしていて、意味のない行為だ。
そして後悔には意味はないが、反省には意味がある。
と、数ヵ月前までは疑うこともありませんでした。
しかし最近、少し考え方が変わりました。
後悔が、その後の生き方の指針となるのなら、それは意味のないものではないのではないか。
と。
たとえば、
「ああしてればよかった。
もう絶対あんなことはしない。」
ここには、後悔と反省の両方が含まれるのですが、ここで考えてみると、次のことに気づきました。
後悔→感情
反省→理論
今までは、反省という理論だけで十分だと思っていましたが、感情なしに人は行動できるでしょうか??
「理論はこうだからこうしよう。」
まさに効率重視の世の中で思春期を育った人間の考え方です。
でも、最近はこれは違うんじゃないかと思います。
感情抜きの理論(行動)は、成功しない。
理論自体、所詮は非理論からできたもの。
逆に、後悔は重要だけど、それだけではいけない。
過去の失態に苛まれる感情だけではいけない。
まあ、たとえそうであっても、時間とともにそれが次の行動の指針にもなり得そうだから、大きくみると、意味はあるのかもしれませんが。
結局のところは結果論で、
後悔→反省→改善
となるか、どこかの右矢印で止まるか。
最後まで、たまたまうまく言った人が成功談を自慢げに語っているだけなのかもしれません。
まあ、僕の人生経験からそう思うだけで、人それぞれだと思います。
書きたいように書いたけど、これ絶対、なかなか理解不能な文章ですわ。
まあ、あげますけどね。
後悔も、出会えば友達。
そんな感じ。