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目玉焼きの白身を残す人

こんばんは、戌吉です。

 

先日、喫茶店でコーヒーを飲んでいたんですが、目玉焼きを食べているおじいさんをみていると、白身の部分を残していました。

 

 

みなさんは、これをどう思いますか?

 

 

残さず食べることがいいという立場からすると、よろしくない行為だと思います。

 

僕もどちらかといえばそっちの立場なんですが、今回はこの論点とはちょっと違う視点での話。

 

 

玉子は黄身の部分のほうが栄養価が高いというのはよく聞く話です。

 

白身を残していたおじいさんは、ほかの食べ物は残さず食べていました。ということは、満腹が原因ではなさそうです。

 

黄身は好きだけど白身は嫌い、というのは聞かない話でもありません。

 

そういう人は、たまーにいるように思います。

 

なぜ、そうなるのか。

 

同じ玉子なのに、その中で好きな部分と嫌いな部分がある。

 

別の食べ物の話ではない。

 

個人的な考えですが、生物的な本能で栄養がある部分とない部分を識別しているんじゃないか、と思っています。

 

白身の部分は、要するに栄養価がない。

大豆で言えば、豆乳は栄養価が高いけど、おからは食物繊維、つまりカスです。(豆乳を美味しいという人が少なそうなことは置いておいて・・・)

 

今でこそ食物繊維は良いもののように言われていますが、ひと昔前までは不要なものとして見られていたようです(食物繊維という言葉はなかったでしょうが)。

栄養の部分だけをとっていると、カスの部分を摂らない弊害に気がついた、という経緯でしょう。

 

 

話は少しずれましたが、黄身の部分が美味しいと思うのは、栄養価の高い部分を、生物的に認識しているからなんじゃないかと思うんです。

 

そうだとすると、面白いと思いませんか?

 

人間にもそういう機能が存在している

理論でいいか悪いかを判断する時代ですが、結局理論も非理論から始まっています。

 

そうやって考えていると栄養があるかどうかを判断する能力があっても不思議ではありません。

 

僕には興味を惹く出来事でした。

 

所詮、ビタミンナントカが何とかに効くといっても、一部分の話。他を切り離して考えること自体非理論的です。

 

まあ、僕は白身も食べますけどね。

それでは今日もお疲れ様でした。